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本日も「ハローワークの緊急職業相談」を広報しました@Yデッキ [自殺予防対策]

(2009年12月28日(月)の活動日記)

● 本日も「ハローワークの緊急職業相談」を広報しました@Yデッキ

 今夜も『ひとり自殺予防キャンペーン』として
 横須賀中央・Yデッキにて
 年末のハローワークによる『緊急職業相談』を広報しました。

 明日29日とあさって30日の2日間、
 全国77ヶ所のハローワークで開催されます。
 (一覧はこちら

 平成町にある横須賀のハローワークも
 もちろんオープンいたします。

 2日間に可能な相談内容は、大きくわけて3つです。

 (1)職業の相談・職業訓練についての相談・求人情報の提供

 (2)公営住宅の情報提供・住宅確保についての相談

 (3)派遣切り・雇い止めなどをはじめとする総合労働相談

28fujino.jpg

 今日28日をもってほとんどの役所が閉まってしまいますが

 今年はハローワークも29日・30日もオープンしていますので
 どうかご利用なさって下さい。

 フジノはどうも『御用納め』という習慣に体がなじめません。
 一斉に行政サービスが年末年始ストップしてしまうのはとても不便です。

 もちろん、警察・消防・救急・上下水道をはじめとするライフラインは
 同じ行政サービスの中でも
 年末年始の暦に関係なくオープンしています。

 気持ち的に僕は、これらの仕事に強いシンパシィを感じます。

 というのも、僕の父は警察官でしたので
 年末年始などの暦とは関係なく働いていました。

 その姿をいつも見ていました。

 どれだけ家族と楽しい時間を過ごしていても
 父はひとり仕事へと出かけていきました。

 だから、他の友達の家では両親がそろってクリスマスイブを過ごしたり
 そもそもふだんの日からそろって夕飯を食べているのが不思議でした。

 夏休みや冬休みに遊びにつれていってもらえないことを
 まだ幼い頃にはなかなか理解できなかったので
 僕は駄々をこねて父を困らせてしまったことを今も憶えています。

 けれども、父は暦どおりに休みが無いことに
 ぐちをこぼしたりすることは全くありませんでした。

 (父は良い意味での『古いタイプの男性』でした)

 でも、僕自身も少しずつ年を重ねていくにつれて、
 世の中の人々がゆっくりと休んでいる時にも
 平和にこうして社会が回っているのは
 父のような人々がしっかり働いていてくれるからだと
 理解しはじめました。

 だから、僕のこころの中でも自然に
 「他人が休む時こそしっかりと働くこと」がとても大切なのだと
 受け止めるようになりました。

 高校・大学時代にもクリスマスも年末年始もアルバイトをしていました。
 政治家に転職する前の仕事でも、年末年始も働いていました。

 いろいろな職業がありますから、暦どおりに休暇がある方々のことも
 尊重していますし、悪いとも何とも思いません。

 (当然ですが、休暇が暦どおりではない職種であっても
  休暇は順番にとっている訳ですから)

 ただ、僕の心情的には、サービス業の方々が
 土日祝日も年末年始も深夜早朝にも働いていて下さるのを見ると
 こころから感謝したい気持ちにいつもなります。

 だから、政治家として働いていく上でも
 少なくとも年末年始もいつもどおりに働いていたいと僕は思います。

 別にそれを他の人々に押し付けるつもりはありません。
 ただ僕はそう考えている、ということなのです。

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 いつもならコートを脱いで演説をしているのですが
 今夜のYデッキはとても冷えて、
 凍えて歯がガクガクとして何を言っているか分からなくなりそうだったので
 あきらめてコートを着ての演説となりました。

 こんな凍える夜にも、暮らす場所が無かったり、
 節約の為に暖房をつけることもできない方々がたくさんいることを
 リアルな意味で、僕は理解しているつもりです。

 フジノはハローワークだけでは十分ではないと考えていますが
 それでもオープンしていないよりは絶対にマシなので
 ぜひ1人でも多くの方々に利用していただきたいと願っています。

 政府もYouTubeを使っての広報に乗り出しました。

 タイトルは『年末年始にお困りの方へ』です。

 (1)鳩山由紀夫・総理大臣の呼びかけ
 http://www.youtube.com/watch?v=gprYFxPjTEc

 (2)長妻昭・厚生労働大臣の呼びかけ
 http://www.youtube.com/watch?v=HWGq4ZwXqxE

 (3)山井和則・厚生労働大臣政務官の呼びかけ 
 http://www.youtube.com/watch?v=XygB6slv51c

 (4)湯浅誠・内閣府参与の呼びかけ
 http://www.youtube.com/watch?v=TQ7FtADFbjw&feature=channel

 こうした呼びかけが
 1人でも多くの方々に届くことを願っています。

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ハローワークの緊急職業相談を広報しました@Yデッキ [自殺予防対策]

2009年12月26日(土)の活動日記)

● 門松を飾りました/来年は36才、年男ですね

 年末年始にフジノ事務所のドアには
 クリスマスにはリースを飾ったりお正月飾りを飾ってきたのですが、
 これまでの事務所は2階にあったので
 ほとんどの人に観られることもありませんでした。

 新しい事務所はとても人通りが多くて目立つ場所にあるので
 お正月の飾りを付けた所、

 さっそく市民の方が気づいてくれて
 「かわいい門松ですね」とメールをいただきました。

 うれしかったです。

 事務所の壁に設置した掲示板
 よく観ていただいていて、とてもありがたい気持ちです。

26kadomatsu.jpg

 ところでフジノは来年36才、年男です。

 昔は年末年始のあらゆることを年男が取り仕切ったそうです。
 ささやかですが、古来の慣わしを大切にしたいと思っています。

 がんばります。


● ハローワークの緊急職業相談を広報しました@Yデッキ

 本日は土曜日ということで
 お昼に『ひとり自殺予防キャンペーン』を行ないました。

 今日、市民のみなさまに特にお伝えしたかったことは
 年末のハローワークによる『緊急職業相談』についてです。

 来週29日と30日の2日間にわたって
 全国77ヶ所のハローワークで開催されます。

26fujino.jpg

 内容は、大きくわけて3つです。

 (1)職業相談・職業訓練に係る相談・求人情報の提供
 (2)公営住宅の情報提供・雇用促進住宅の斡旋等の住宅確保に係る相談
 (3)総合労働相談

 神奈川県内では、川崎・相模原・横須賀・横浜の
 4ヶ所のハローワークで開催されます。

 ぜひ1人でも多くの方々に利用していただきたいという想いで
 報告をさせていただきました。

 実は、昨日の夕刊に悲しいニュースが載りました。

 (2009年12月25日・朝日新聞・夕刊より)
25asahi.jpg

 もともと毎月の速報で統計をチェックしていますので
 残念ながら3万人を超えてしまうことは理解していました。

 しかし、改めてこうして報道された記事を読むと
 自分がもっと骨身を砕いてもっともっと活動していれば
 追い込まれた末に自殺の犠牲になった方々を減らせたはずだったのに、
 という罪責感に強くさいなまれます...。

 だからこそ、必要な情報を必要な方に届くように
 少しでもがんばらなければと感じています。

 前回・前々回のワンストップサービスも
 利用者がそんなに多くありませんでした。

 試みとしては正しくても、その情報が伝わりきっていないことを
 市議会の質疑でもフジノはとりあげました。

 だからこそ、広報は少しでも多く自ら動くことで
 積極的に行なっていかなければならないと責任を感じています。

 これから年末年始にかけて
 まだまだ市内を回らせていただきます。

 市民のみなさまにお願いです。

 ハローワークの緊急職業相談を必要とされている方がいらしたら、
 どうかお伝えして下さいませんか。

 よろしくお願いします!

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クリスマスひとり自殺予防街頭キャンペーン@Yデッキ [自殺予防対策]

(2009年12月25日(金)の活動日記その2)

● クリスマスひとり自殺予防街頭キャンペーン@Yデッキ

 毎年行なっているクリスマスイブから年始にかけての
 『ひとり自殺予防キャンペーン』を今夜もYデッキで行ないました。

 自殺とはそもそもどういうことなのかという実態について、
 どのような対策が行なわれてきているのかについて、
 政治・行政のセーフティーネットの限界についてを語りました。

 その政治・行政の限界をうちやぶる為に
 市民のみなさまにぜひご協力をお願いしたいことを
 お話ししました。

 この街頭演説は昨日に続いて、とても好意的に迎えられました。

 やはり、自殺問題は市民のみなさまにとって
 リアルな問題として感じられているのだと確信しました。

25fujino.jpg

 今日は、市民の方に話しかけられている時間の方が多くて
 街頭演説そのものは最初の15分ほどで終わってしまいました。

 複数の市民の方々から、身近で体験した自殺について
 それぞれの想いを聴かせていただきました。

 特に、今日聴かせていただいた複数のお話の中で
 あえてここに記したいことがあります。

 それは、市内の中学校で、いじめが原因で自殺してしまったAさんの
 クラスメートBさんからうかがったお話でした。

 Aさんは明らかにいじめを受けていたのに、
 先生や学校はそれをAさんの親には隠したそうです。

 Bさんはいじめの実態を知っていたので
 学校側の対応を間近で見つめて「学校に裏切られた」と
 強く感じたそうです。

 さらに、Aさんの自殺を防ぐことができなかったと
 自分のことをBさんは強く責めた結果、
 精神疾患を発症してしまったと苦しそうに語ってくれました。

 Bさんから、

 「フジノさん、どんどん中学校に行って
  生徒たちの生の声をもっと聴いて下さい」

 「いじめを隠す学校が憎いです」

 と言われました。

 福祉政策をメインにしてきたフジノが
 3年前に初めて市議会で教育担当の委員会へ所属することになった時、
 最も力を入れたのが『いじめ』『いじめ自殺』の問題でした。

 Bさんが中学生だったのは、今から5年ほど前のことです。

 5年前と比べて、確実に『いじめ』の統計の取り方も変わりましたし、
 いくつもの対策が日常的に行なわれるようになっています。

 それでも、今も深くBさんのこころに傷をのこしている
 Aさんの自殺という事実は消えません。

 こうした悲しみに満ちた事件が決して2度と起こらないように
 もっともっと現場に飛び込んでいくようにフジノはこころがけます。

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 今夜は、HP・ブログでの『ひとり自殺予防キャンペーン』の記述を見て
 わざわざYデッキに来て下さった方もいらっしゃいました。

 その他にも、話しかけて下さった方々には
 とても感謝しております。

 さらに、僕の中学時代の恩師であるI先生
 通りがかりかけに声をかけて下さいました。

 研修帰りの2人の先生と一緒に、
 先ほどのBさんのお話や教育現場について
 意見交換をさせていただきました。ありがとうございました。

25fujino2.jpg

 フジノは年末年始も場所を変えながら
 『ひとり自殺予防キャンペーン』を続けていきます。

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今年もクリスマスイブのひとり自殺予防街頭キャンペーン@Yデッキ [自殺予防対策]

(2009年12月24日(木)の活動日記)

● 今年もクリスマスイブのひとり自殺予防街頭キャンペーン@Yデッキ

 世の中が華やかでわくわくするような祝祭の時期こそ
 絶望や孤独におしつぶされそうな人々にとっては
 最も厳しい時期にあたります。

 そこでフジノは、毎年、クリスマスの前から年始にかけて、
 『ひとり自殺予防キャンペーン』を行なっています。

 今年のクリスマスイブも、フジノは街頭に立って
 市民のみなさまに自殺の実態と対策について語りかけました。

24fujino1.jpg

 それにしても、今日は複雑な気持ちでした。

 昨年もそうだったのですが、フジノの演説はYデッキを通行する方々に
 歓迎をもって迎えられたのをハッキリと感じました。

 政治家として約7年間活動をしていますが
 『街頭演説』というものは、
 基本的に「うるさくて迷惑なもの」だとフジノは自覚しています。

 だから、ヤジが飛んだり、「やめろ」と言われたりするのが
 (自分にとってはつらいことですが)むしろ当たり前だと考えています。

 それが、昨年の『ひとり自殺予防キャンペーン』の時から
 クリスマスイブや元旦や三が日に街頭演説をしているにも関わらず

 「がんばって!」

 と好意的に迎えられるようになったのです。

 特に、驚きだったのは昨年のイブと元旦です。

 イブと元旦は、街頭演説が嫌がられることが多かったのに
 足を止めて自殺予防対策のお話を聴いてくれる方々がとても増えたり、
 フジノの活動を「もっとがんばって!」と応援してくれる方々がいたのです。

 つまり、自殺の問題が市民のみなさまにとっても
 いかにリアルな問題になったかを象徴している出来事でした。

 そしてそれは今年(=今日)も、そうだったのです。

 2時間の街頭演説の間、苦情はゼロ。
 応援・激励の言葉が何件も...。

 つまり、ますます自殺問題は
 このまちにとってさらにリアルで深刻な問題になったということです。

 確かに、先日発表された最新の統計では
 横須賀市の自殺(2008年)は、過去17年間でワースト2位でした。

 フジノは、市民のみなさまに語りかけながらも
 自分の話が受け容れられていることに複雑な気持ちになりました。

 必ずこの厳しい現状を変えていきます。


● 横粂さんの初応援演説から1年が経ったのですね

 この1年間は本当に『大きな変化』が起こりました。

 例えば、1年前は無名に近かった横粂勝仁さんは
 今では立派な国会議員になりました。

 去年12月24日に、横粂勝仁さんと一緒に
 初めて街頭演説を行ないました。

 すでに横粂さんの応援を決意して想いを伝えていたのですが
 まちへ一緒に出て街頭演説をしたのは
 クリスマスイブが初めてでした。

 (2008年12月24日・河村たかしさん・横粂勝仁さん・フジノ)
24MrYokokumewithfujino2.jpg

 今では名古屋市長になって
 全国で初めての10%減税を実現した河村たかしさん
 横粂さんとフジノの3人での写真が懐かしいです。

 全国初の減税を成功させた河村たかしさんのニュースは、
 昨日今日と新聞やメディアで大騒ぎとなっています。

 河村さんは国会議員を辞めて名古屋市長になって
 良かったのだなあとつくづく感じました。

 そして、昨年は誰も街頭演説に立ち止まる人はいなかった
 かつての横粂さんも、もはやいません。

 現在の横粂さんは、歩いているだけで声をかけられるような
 とても有名人になりました。

 まだ国会議員としての成果は分かりませんが、
 1年前と比べれば、大きな前進だと感じています。

 同じYデッキに1年後に立って、フジノは、自分が歩んできたこの1年間が
 決して間違っていなかったことを改めて思い返しました。

 『新しい横須賀』を実現するための道のりは
 まだまだ遠く険しいものがあります。

24fujino2.jpg

 それでも決してあきらめることなく
 誰もが希望を感じることができるまちへと生まれ変わる為に
 全身全霊をかけて前へ歩んでいきます。

 メリークリスマス!

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朝日新聞・夕刊の連載「ニッポン人・脈・記『3万人の命に』」 [自殺予防対策]

(2009年12月22日(火)の活動日記その2)

● 朝日新聞・夕刊の連載「ニッポン人・脈・記『3万人の命に』」

 11月27日に取材を受けた
 朝日新聞・論説委員の伊藤智章さんによる
 連載「ニッポン人・脈・記『3万人の命に』」の最終回(第10回)で、
 フジノのことをとりあげて頂きました。

 これまで10回の連載を通して、
 毎回、フジノが直接に知っている方々ばかりが登場しました。

 それは、この国の自殺予防対策に取り組んでいる方々が
 どれほど少ないのかを物語っています。

 今は『自殺戦争』のまっただなか、と
 政府が宣言しているにも関わらず(『自殺対策100日プラン』)、

 最前線で戦っている人々は
 決して多くないのです。

 だから、自殺予防対策について取り上げた取材では
 いつも似たようなメンバーにならざるをえないのです。

 フジノは、自分が1か月前に取材を受けてはいたのですが
 いつ自分が連載の中で登場するのかは全く知らなくて

 毎日、夕刊が届くのを見るたびに
 最終回(この連載はいつもだいたい10回で終わります)が
 だんだん近づいてきているなあと思っていました。

 土日はこの連載がありませんので、
 先週の金曜日(第9回が載った日です)の記事を見た後、

 たぶん僕の取材部分はボツで、
 もう僕は載らないんだろうなあ。

 と、何となく思っていました。

 それが今日、夕刊を見た瞬間、とてもショックを受けました。

 自分が載っていたことがうれしいとか
 そんな感情では全く無くて、

 紙面を見た瞬間に、
 思わず涙がボロボロと出てしまいました。

 その理由は、尊敬してやまない山本孝史さん
 同じスペースにまさか自分が一緒に登場することになるなんて
 思ってもみなかったからです。

 こんな僕のような非力な政治家が、
 山本さんと同じスペースにいて良いのかと
 自問自答してしまいました。

 記事の中に書かれているとおりで
 今日はまさに山本さんの命日です。

 2年前、訃報が流れた瞬間に感じた、
 激しい喪失感もハッキリと覚えています。

 3年前のあの日の山本さんの本会議場での代表質問も
 リアルタイムでインターネット生中継を見ていました。

 あの時も僕は、
 涙を流さずにはいられませんでした。

 あまりにもたくさんの犠牲に対して
 政治家としていつどんな時も恥ずかしく無いように
 必死に自分としては働いてきたつもりです。

 自殺対策基本法案の為に 
 山本孝史さんや尾辻秀久さんら国会議員の方々が
 超党派の有志の会を立ちあげてくれたので

 それに呼応する形で、地域で実践を繰り広げていく為に
 僕たちは地方議員の有志の会を立ちあげました。

 そして、今も僕たちの有志の会は必死に活動を続けていて
 先日18日には、政府の自殺対策特命担当大臣・副大臣のお2人に
 初めて有志の会としてお会いしました。

 いつだって、僕は今この瞬間の自分が
 山本さんに対して恥ずかしくないように
 ずっと全身全霊をかけて活動し続けてきたと信じています。

 命をかけて、命を守る。

 政治家として、僕はその根本的な信念を貫き続けてきたはずだし、
 自分の活動や姿勢が揺らいだことは一瞬も無いと信じています。

 ただ、自分にとってあまりにも大きな存在である方と
 あまりにもちっぽけな自分とが同じスペースに存在したことが
 どうしてもうまく飲み込めなくて、涙がこぼれてしまいました。

 今日も僕なりに信念を貫く為に必死に働いてきたつもりです。

 でもこれからもずっと、必死に活動して
 救うことができる命を守る為に自らの命を賭したいと思うのです。

 毎日毎日、決意を新たにしていますが、
 今日は特にその想いを強くしました。


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 (2009年12月22日・朝日新聞・夕刊1面より)
クリップボード02.jpg

 魂の訴え政治が動いた

 今年10月26日午後、山本ゆき(58)は、大阪の自宅でテレビをみていた。
 ニュースは鳩山由紀夫(62)の所信表明演説を取り上げていた。
 首相が、こんな話をした、と知る。

 「私の手を離そうとしない、ひとりのおばあさんがいらっしゃいました。
  息子さんが職につけず、自ら命を絶つしか道がなかった。
  その悲しみを、私に切々と訴えられたのです」

 真夏の総選挙、その青森遊説での出来事にふれた。
 鳩山は、女性の手の感触、目の悲しみが忘れられない、
 いや、断じて忘れてはならない、と続けた。

 ゆきは、亡き夫を思った。

 「あなたの思いが生きている」

 夫は、山本孝史。
 末期がんなのに酸素ボンベを引き、国会に通った民主党参院議員だ。

 薬害エイズ、被爆者、がん、そして自殺。

 「助かるはずの『命』が
  次々に失われていくのは政治の責任だ」と説いた。

 9年前、鳩山は「あしなが育英会」の自殺遺児らに会っている。
 引き合わせたのは孝史だった。
 その後、鳩山は国会で取り上げてきた。

 ゆきはいう。

 「現場に呼んで人を動かす。それがあの人のやり方でした」

 孝史が「命」にこだわった原点は、5歳のときの経験だ。
 3つ上の兄が、自宅前でトラックにひかれて死んだ。

 その後、家族の間では事故の話は封印してきたが、
 立命館大時代、交通遺児の手記を読み、号泣する。

 遺児を支える運動に飛び込み、1993年、政界に転じた。

 年間自殺者3万人に衝撃を受け、
 民主党内に対策検討チームをつくって代表に。

 2005年7月、
 参院委員会で全会一致の自殺対策決議にこぎつけた。

 その年の暮れ、がんが分かる。

 「あなたの一番やりたいことは」

 と医師に言われて死期を悟り、
 狙いを定める。自殺とがん対策の基本法づくりだ。

 翌06年の通常国会。与野党対決が続き、じりじり会期末が迫る。
 孝史には時間がない。

 5月に本会議でがんを告白して協力を求め、説得に歩いた。

 6月、自殺対策基本法が可決された。
 1年半後、孝史は58歳で逝く。

 今日22日は、亡くなって丸2年。
 ゆきは、自殺遺児らが開く集会で孝史の思いを語る。

 08年1月23日、
 参院本会議場に尾辻秀久(69)の声が響いた。

 「バトンを渡しましたよ、
  そういう山本先生の声が聞こえてまいります」

 「先生、外は雪です。
  ずいぶんやせておられましたから、寒くありませんか」

 孝史の追悼演説を買ってでたのである。

 自殺対策法の自民党側のとりまとめ役。
 厚生労働相のとき、孝史らが仕掛けた初の自殺問題の国会集会に出席、
 45分も遺族の訴えに耳を傾け、「胸がつまる思い」と語った。

 鹿児島出身の尾辻は、父が戦死し、20歳で母も失った。
 高校生の妹のため、防衛大を中退して働こうとしたが、
 「両親もおらんやつ」と差別に泣いた。

 いま、超党派の自殺対策をすすめる
 議員有志の会長をしている。

 「山本さんがいたから始めたが、
  3万人の自殺を放ってはおけない。
  誰かがやらなきゃ」


 全国の約20人でつくる
 「地域の自殺対策を推進する地方議員有志の会」という集まりがある。

 神奈川県横領賀市の市議、
 藤野英明(35)が初代代表である。

 高校時代からの恋人を自殺で失った直後の03年、
 東宝の社員を辞めて初当選した。

 年4回勉強会を開く。
 役所に多重債務の相談窓口を、
 図書館に自殺対策コーナーを、などと具体的な提案をする。

 「法律で上から網をかけるだけでは地域は動かない。
  現場で一緒に考えたい」


 この取材で、
 あまりに理不尽な目に遭った人たちに会った。

 自殺は、社会の矛盾そのものの表れだ。
 ただ、苦悩を突き抜けてきた人と話すと、
 安らかな気持ちにもなった。

 人には力がある。
 可能性を信じることから、
 自殺者を減らす努力が始まる。

 (このシリーズは、論説委員・伊藤智章が担当しました。
  本文中は敬称略)
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 (引用終わり)

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このまちの自殺による犠牲/2008年の統計が発表されました [自殺予防対策]

2009年12月19日(土)の活動日記その1)

● このまちの自殺による犠牲/2008年の統計が発表されました

 残念ながら昨年(2008年)は
 自殺による犠牲を減らすことができませんでした。

 おととしは94名の方々が自殺へと追い込まれてしまいましたが
 昨年は107名へと増えてしまいました。

 これは、本市が持っている過去17年間のデータのうち、
 6年前(2002年)の108名に続く、過去2番目に多い犠牲者です。

 本当に、残念でたまりません。

 誰よりも自殺対策に取り組んできた政治家として
 フジノは自らの力不足と責任を痛感しています。

 命を守ることこそが政治家の最大の仕事であるにも関わらず、
 本当に申し訳ございませんでした。

 昨年は日本全国が危機的な経済社会状況に追い込まれていたとはいえ、
 横須賀だけでも何とかしてセーフティネットを構築すべきでした。

 どれだけ祈っても2度と戻ってくることの無い命を
 失ってしまったご遺族の痛みは誰よりも理解しています。

 みなさまの痛みを僕自身の痛みとしてこころに刻んで
 僕の命の続く限り、この責任を感じ続けて働いていきます。

 本当に、申し訳ございませんでした。

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 データをもう少しだけ、紹介させてください。

 横須賀市で亡くなった方々の原因で最も多いのは『ガン』ですが
 『自殺』は、ワースト7位(おととしも7位)でした。

 このまちで亡くなった100人のうち
 32名がガンで亡くなった割合ですが、
 100名のうち、3名が自殺の犠牲になっています。

 ただ、毎年書いていることですが

 死因『不慮の事故』の中には『自殺』が含まれていることが
 複数の研究者からすでに指摘されていますので
 実際は『自殺』の数がもっと多いのではないかと思われます。

21rank.jpg

 また、5才刻みの年齢別でのデータで見ていくと
 55才~59才が最も多く、
 ついで30才~34才でした。

21age.jpg

 グラフを見ていただくと、2つの山があるのが分かると思います。

 ・20代後半から30代後半

 ・50代から60代後半

 この2つの層が、大きな山になっています。

 これまでもこの2つの層をターゲットにした取り組みを
 行なってはきたのですが、十分に行きとどいていないのだと感じます。

 もっともっと必要な支援が必要な方々に届くように
 適切な対応に取り組んでいきます。

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自殺対策予算の復活を福島みずほ大臣へ要請しました/内閣府へ [自殺予防対策]

(2009年12月18日(金)の活動日記・速報版*後日ちゃんとしたのを書きますね)

● 自殺対策予算の復活を福島大臣へ要請しました(速報版)

 11月12日に開催された事業仕分け(2日目)
 内閣府の普及啓発事業に関する予算が対象となりました。

 この予算の中には『自殺対策』も含まれていましたから
 危機感を持ったフジノは当日、市ヶ谷の現場に向かったのでした。

 その危機感は的中してしまい、
 なんと『3分の1縮減』という結果になってしまいました。

 ようやくスタートしはじめたばかりの自殺予防対策は
 政府全体で見ても予算は本当に少なくて、
 ここで減額させてしまう事態は
 絶対に避けなければいけないとフジノは感じました。

 その危機感は決してフジノだけのものではなくて、
 自殺対策に取り組む全国の地方議員の仲間と共に活動している
 『地域の自殺対策を推進する地方議員有志の会』の
 メンバーみんなも同じでした。

 (有志の会とは:http://www.hide-fujino.com/diary/2006/may4.htm

 そこで、我が国の自殺対策の責任者である
 自殺対策特命担当大臣の
 福島みずほさんに直接お会いして
 『有志の会』として想いを伝えさせて頂くことになりました。

18parliament.jpg

 来年度予算案の策定に向けて
 政府は今、大詰めのすさまじく忙しい時期にありますが
 福島大臣はこころよく面会して下さいました。

18room.jpg

 メンバーみんなで作成した意見書を
 代表の川口洋一さん(大阪府・高槻市議会議員)が読み上げて
 福島大臣にお渡ししました。

 その直後に、福島大臣から爆弾発言がありました。

18MsFukushima.jpg

 「自殺対策の予算は、絶対に死守します!」

 と宣言して下さったのです。

 あまりにも毅然とした心強い回答を頂いて
 メンバーみんなが感動しました。

 さらに、時間を割いて頂き、
 『有志の会』メンバーの活動や自殺対策への想いや提言を
 詳しく聴いて下さったのでした。

 その後、大島敦・副大臣にもお会いしていただきました。

 大島副大臣との面会も、
 「感動した」としか表現できないほどの時間となりました。

 自殺対策への熱意の強さは、
 大臣も副大臣もすごかった!

 僕たちが話す一言一言をしっかりと受け止めて下さっただけでなく、
 内容そのものを理解して下さっているのがはっきりと分かりました。

 つまり、自殺対策の専門家同士でお話している時と同じ感覚を
 大臣・副大臣と対話しながら感じたのです。

 本物の熱意を持つ方々が今、
 その分野の最高責任者に就いているのだと分かりました。

18parliament2.jpg
 そもそもは、事業仕分けの結果(3分の1縮減)の撤回を求めての
 今日の『有志の会』の行動でした。

 しかし、今日僕たちはそれ以上の大きな成果を得たのを感じました。

 自殺対策特命担当大臣と副大臣に対する
 『強い信頼』です。

 2人とも、本気の方々でした。

 大臣という肩書きを与えられたから
 自殺対策に取り組もうとしているのではなくて

 自殺対策への強い想いを持つ2人が
 大臣と副大臣に任命されているのだとハッキリ分かりました。

 フジノは前政権の時から
 内閣府の自殺対策推進室には強い信頼感を持っていました。

 けれども、その上司である方々(国会議員の大臣たちです)は
 本当に自殺対策に関心があるのかどうか見えてきませんでした。

 でも今日、新政権の大臣・副大臣とお会いして
 僕たちは同じゴールを目指していることが
 ハッキリと分かったのです。

 ならば、僕たちが成すべきことも明らかです。

 大臣らと完全に同じ目標を共有できていることが分かった以上、
 国と共に力を併せて全身全霊をかけて対策に取り組むことです。

 今日ほどフジノは、政権交代が実現したことに
 喜びを感じたことはありませんでした。

 最高に素敵なクリスマスプレゼントを頂きました。

 『有志の会』メンバーはそれぞれの地方議会で
 この12月議会も自殺対策の取り組みを加速させる為に
 活動してきました。

 救うことができる命を1人でも多く守りたい。

 年末・年度末に向けて、もっともっとがんばっていきます!

共通テーマ:日記・雑感

静岡県立大学での講義は、人生の素敵な思い出になりました [自殺予防対策]

(2009年12月15日(火)の活動日記その4)

● 静岡県立大学での講義は、人生の素敵な思い出になりました

 さて、90分の講義を終えて、津富先生の研究室へ。
 いろいろなお話を聴かせていただきました。

 津富先生の研究室の前の廊下からの眺望は
 素晴らしいものがありました。

 ケータイのカメラだとその魅力は全く伝わってないのですが
 富士山が目の前にどかーんと見えます。

15mtFuji.jpg

 そして、静岡のまちなみも。

15town.jpg

 フジノは政治家であることを望んでなった訳ではありませんから
 いずれ遠くない将来に政治家を辞めるつもりです。

 (いつも身の振り方は考えてきました)

 でも、政治家を辞めても、大好きだったかつての映画会社へと
 戻ることはもはや不可能なのが現実ですから

 大学院で学ぶことを第2の人生として
 1度は選んだのでした。

 結局、大学院で研究生活に入ることは
 断念せざるをえなかったのですが
 僕は『学ぶこと』をこよなく愛している人間です。

 そんな僕の性格なので、
 津富先生の研究室におじゃまさせていただいて
 学生たちに対する津富先生の想いを聴かせていただくにつけても
 学ぶことの喜びがこころに広がっていくのを感じました。

 学生たちからも先生がいない所でたくさんお話をうかがったのですが、
 学ぶ環境づくりをすごく配慮して先生が創って下さっていることを
 学生たちもとても実感しているようでした。

 学生さんたちは本当に幸せだなあと感じました。

 下の写真は、研究室での津富先生とフジノです。
 本であふれかえっています(うらやましい!)。

15withDrTsutomi.jpg

 津富先生が翻訳したばかりの本
 『犯罪の生物学』を頂いてしまいました。

 (http://www.bk1.jp/product/03159054
  読ませていただきます!ありがとうございました)

 最初は津富先生と2人きりでお話をしていたのですが、
 研究室に学生さんたちが少しずつ増えてきました。

 「ふだんから研究室には学生がたくさんいるんですよ」

 と学生さんが言うので、集まってきた学生たちに
 それぞれの所属している学部を尋ねると、みんなバラバラなのです!

 その先生のゼミに所属している学生が
 その先生の研究室に溜まるのは理解できるのですが

 この状況は、すごい!
 研究室そのものがコミュニティと化しているのです。

 こういうことって、可能なんですね。

 津富先生って、すごい。
 ファンになってしまいました。

 研究者として優れているのはプロとして当然としても、
 授業が下手っくそだったり、学生のことは放ったらかしだったり、
 という教授ってたくさんいますよね?

 津富先生は、そういうアカデミズムだけの人種とは正反対の
 人としてとてもすごく温かで大きな存在だなあと感じました。

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 1時間くらい、研究室で話した後、みんなでランチへ。

 上食のソファー席をとっておく、と1人の学生が10分ほど先に
 食堂へ行ってくれていました。

 上食というのは、食堂が2階に分かれているのですが、
 上の食堂のことだそうです。

 研究室で会話をしていた学生さんたちと。
 この学生さんたちは本当にみんな素敵でした。

15withstudents1.jpg

 1人1人が目指している将来の目標や進路を聴かせてくれたり、
 今、取り組んでいることを話して下さいました。

 それぞれに痛みを感じたり、迷ったり苦しんだりしながらも
 みんな、一生懸命それぞれにリアルな現実と向き合いながら
 前を向いて歩いているのだと感じました。

 みんなと出会えたことは、僕の人生にとって大きな財産です。

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 そして、『津富マジック』はさらにここからです。

 学生さんたちがこんなに増えてしまいました。
       ↓
15withstudents2.jpg


 講義の後にゲスト講師を囲む、
 っていうレベルの集まり方じゃないですよ、これ。

 学部もバラバラ、あらゆる立場の学生たちが、
 津富先生を慕ってこんな風にみんなでごはん食べてる訳です。

 感激でした。

 そして、14時ちょっと前くらいまで
 改めてみんなでいろいろなことを語り合ったのでした。

 9時から講義スタートですから、5時間もキャンパスで
 学生さんたちと過ごせたのは貴重な体験でした。

 フジノは政治家であると同時に精神保健福祉士ですから
 守秘義務がありますので、受けた相談や聴いた話はここには記せません。

 でも、みんな、大丈夫だよ。
 きっと、みんなならば乗り越えていかれるはず。

 どうか、また必ずいつか、お会いしましょうね!

 人生というのはなかなかたやすくはいかせてくれないので
 みなさんの夢や目標がすんなりと実現することは
 難しいかもしれません。くじけることもたくさんたくさんあることでしょう。

 でも、今みなさんが前を向いて歩き続けているように
 これからもずっと前へ前へと歩み続けて下さい。

 ゆっくりでもいい。遠回りしてもいい。くじけてもまた立ち直ればいい。
 大丈夫だよ。

 みなさんの未来が希望あるものとなるように
 政治家として僕が今できることを全力でやっていこう、
 そんな決意を強くしました。

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 こうして、学生たちと別れました。

 さらに津富先生は大学から宿泊先ホテルまで
 わざわざ車で送って下さって(ありがとうございます)
 その道中もお話する機会がありました。

 つくづく「良い先生だなあ」と感じました。

 昨日フジノがホテルのフロントやココイチの人たちに
 静岡県立大学の印象を尋ねてもみんな良い評価だったのは、
 なんだか分かる気がしました。

 素敵なキャンパス、学生たち、先生。

 フジノは講義の為にここまで来たのですが
 むしろフジノの方がもらって帰るものが多かった気がします。

 帰りの新幹線も恐怖心は沸き起こったのですが、
 学生さんたちとの5時間が本当にうれしかったので
 行きとは全く違う気持ちで帰ることができました。

15fujino.jpg

 新幹線の中でツイッターを見ると、県大の学生さんから

 「是非来年もこの授業で講義していただけたらと思います」

 と、温かいツイートを頂いていました。

 あらゆる講演とか講義とかから
 もう身を引こうと決めているのでフジノがお話をする機会は
 たぶん無いと思うのです。ごめんなさい。

 でも、いつかきっと違う形で、政治家としてではなくて
 僕自身も僕の目標を実現していきたいと思うんです。

 本当にありがとうございました。

 何百回、何千回とお礼を申し上げても足りないくらいに
 素敵な機会を今日は頂きました。本当にありがとうございました!

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1人から人権(いのち)を守る/18才のみんなへの半年間のラブレターでした [自殺予防対策]

(2009年12月15日(火)の活動日記その3)

● 1人から人権(いのち)を守る/18才のみんなへの半年間のラブレターでした

 さて、フジノがお話をさせていただいたのは
 全学共通科目の特別講義『人権問題を考える』でした。

 全学共通科目ということは、つまり、
 あらゆる学部の学生さんたちが集合しているのですね。

 薬学の学生もいれば、看護の学生もいれば、
 経営情報科学の学生もいれば、
 食品栄養科学の学生もいれば、国際関係学の学生もいるわけです。

 福祉なら福祉だけの学生にお話しするのとは違って
 とてもハードルが高いですよね~。

 そこで、18才の時の自分の気持ちに立ち返って
 率直な想いをお話しすることに決めました。

 タイトルは『1人から人権(いのち)を守る』です。

 複数の想いをかけたタイトルにしました。

 『1人から』というのは、
 まずあなた1人から行動を、という意味でもありますし、
 世界の約60億人ではなくてまずあなたの隣にいる1人を、
 という意味でもあります。

 さらにいろいろな想いをこめているのですが、
 聴いてくれた方々がそれぞれに受け止めてくれたらいいなと思います。

 ついに、9時からスタートしました。

 まず、津冨先生からご紹介していただいて
 フジノをゲスト講師に招いた理由やいきさつなどをお話して下さいました。

 マイクが渡されて、そしてフジノがお話をしました。

 実は、この講師を依頼されたのはもう半年くらい前のことなのですが
 それから今に至るまで、まだ見ぬ学生さんたちのことをずっと想い続けてきました。

 そんな半年間想い続けてきた学生さんたちへの想いが
 ほんのわずかでも良いから届いてほしいと強く願いながらお話をしました。

 僕は話すのが得意ではないので、上手にはできなかったと思います。

 それでも約100人の受講している学生さんたちはみんな、
 じいっと耳を傾けて下さいました。

 何人もの学生さんが涙を流している姿を見るにつけても
 ああ、こうやってみんなに会いにこれて良かった、と感じた1時間半でした。

 本当に、あっという間の1時間半でした。

15class2.jpg


 約100人の学生たちと、最後に記念写真を撮らせていただきました。

 人生80年の中の、18才のわずか90分間だけの接点ですから
 やがてこの100人のほとんどがフジノのことを忘れるでしょう。

 でも、人生というのは不思議なものですから
 いつかきっとこの学生さんたちの中で

 将来フジノと一緒に仕事をするようになる学生さんがいたり、
 あるいは、何かの機会に再会することがあるはずです。

 みなさんと出会えたことをこころから感謝しています。

 津冨先生、学生のみなさん、木苗学長、本当にありがとうございました!


 (その4へ続く)

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講師はたくさんしてきたけれど、大学生たちとずっと語り合いたかった [自殺予防対策]

(2009年12月15日(火)の活動日記その2)

● 講師はたくさんしてきたけれど、大学生たちとずっと語り合いたかった

 さて、講義を行なう校舎(一般教養棟)に入ると
 建物の外はレンガ造りなのですが
 内側は太陽の光がとても入る美しい構造になっていました。

 まだスタート30分前だったので、
 誰1人も学生は来ていませんでした(そりゃそうだ)。

15class0.jpg

 フジノはこれまでいろいろな場所で講演してきました。
 小中学校で学生たちを相手にお話をしたこともあります。

 ただ、大学という場所で聴衆が一般の方々だったことはありますが
 学生たちも大学生を相手、というのは今日が初めてです。

 でも、大学生たちとお話をすることを
 本当に心待ちに楽しみにしてきました。

 何故ならば、僕自身の人生をふりかえると、
 リアルな意味での『その後の人生』に関わるお話を聴いたりしたのは
 物心が完全についた大学時代でのことだったからです。

 小中高校で感激したり感動したりしたことも
 もちろんこころに焼きついていて永遠に覚えてはいるのですが
 もっとリアルな意味で、その後の就職につながったりしたり
 その後の人生の選択につながったのは大学時代のことでした。

 僕は自分の大学は大キライでしたが、
 (先生も授業もロクなものがありませんでした)

 他大学から講師として来て下さる方々にはとても立派な方々が多くて
 すごくお世話になりましたし、今でも忘れることは決してありません。

 (慶応大学の佐藤方哉先生、東京工芸大学の神原和子先生、
  他にもたくさんの方々にお世話になりました)

 だから、自分の人生を通じていろいろな方々から受けてきたご恩に対して
 もしも僕自身が恩返しができることがあるとすれば

 かつてご恩を受けた方々に直接に何かをするのではなくて、
 僕が学生時代にそうしていただいたことを
 次の世代にしてあげることだと信じてきました。

 つまり、僕の想いや生き様を
 全身全霊をかけて次の世代へと伝えることだと考えてきたのです。

 僕は大学院も中退せざるをえませんでしたから
 研究者としては中途半端な存在ですが

 でも、生きてきた人生についてであれば、
 全ての人々に語るべきことがらがあるように、
 僕にも語るべきことがあるはずです。

 聴いてくれた全員に伝わることなんて元々ありえません。

 あくまでも、僕と同じような方向を見つめている人がいたら
 その人に少しでいいから想いが届けばいいなと願っています。

15class1.jpg

 全身全霊で自分の想いを次の世代へと伝えること。
 それが、僕が今まで人生で受けたご恩へのお返し、になるはず。

 そんな気持ちで講義へと向かいました。


 (その3へ続く)

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