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「性同一性障害を知っていますか」講演会(後編) [性的な多様性・LGBTI]

(2008年11月4日(火)の活動日記その4)

● 虎井まさ衛さん講演会「性同一性障害を知っていますか」(後編)

 虎井さんの講演の最後の部分です。

 (前回&前々回と同じく
  ここから先の内容は全てフジノのメモを元にしておりますので、
  誤った記述があるかもしれません。

  それらの文責は全てフジノにありますので、
  どうかあらかじめご了解ください)

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 <虎井さんのお話>

 性別適合手術を終えた後も、戸籍上の性別は違う訳です。
 そのことが社会的にどんなにつらいかということが
 大人になるにつれて分かってきました。

 手術が終わって、借金が山のようにあったのですが、
 本来ならば体調の為に療養しなければならない時期に
 私は工場に働きに行きました。

 自分は男性として働きました。
 手術をしました、とは言わなかったです。

 かつてとは異なって現在では、就職面接で
 「私はトランスジェンダーです」と自ら言える人もいると思います。

 けれども、かつては言えませんでした。

 当時は、住民票みたいな身分証を見せなくても
 履歴書だけで就職試験が受けられました。

 だから、履歴書の性別欄には
 男に丸をつけて出していました。

 採用されて就職したのは、プラスチック成型の工場でした。

 映画『男はつらいよ』に出てくる
 下町のタコ社長にそっくりの感じの工場でした。

 本当に従業員同士のプライバシーもへったくれもないような
 寅さんの葛飾柴又のような感じの所に
 大きなヒミツを持って入っていったのです。

 それでも通算7年間、楽しく働きました。

 今と同じ外見で、性格も変わらなかったので、
 みんなとはうまくやっていけていました。

 バブルの時期だったので
 スタートは時給が600円だったのが1800円になったりしました。

 1回目の手術を終えてから2年間はそのまま働きました。
 その後、ペニスをつける為の手術をする時に
 海外に留学するので辞めます、と伝えました。

 それでも「留学が終わったら戻っておいで」と言っていただき、
 手術をしてから、4ヶ月後には仕事に復帰しました。
 それからこの工場で5年くらい働きました。
 23~30才まで働いた訳です。

 ところで、性別適合手術やホルモン注射など
 女性から男性へという人は、とても年齢より若く見える。

 ホルモンの関係で、ひどくにきびができる人が多いんですね。
 私はそのせいで、高校生だとばかり思われていました。

 28歳です、と言っても
 職場の中高年の人々に何度話しても
 高校生だと思われている。

 明日30才の誕生日、という晩に
 私のことを幼い頃から悪態をつき続けてきた父親が
 ふと、「おまえもとうとう30才か」としみじみとつぶやいたんですね。

 その言葉のニュアンスに、
 ああ、自分も父にやっぱり愛されているかも、と考えました。

 そんなこともあって、

 「明日工場で自分は30才だと言おう」

 と決心しました。

 これまでも何回も年齢を言っても忘れられてしまうので
 今回は、ハッキリと強めに言うことになりました。

 つまり、宣言をしたんです。

 でも、30才だと宣言をした途端に
 まわりの態度が変わってしまったのです。

 それまではいろんな雑談をしてきたのが
 30才だと宣言をした後は
 聴かれることが2つしか無くなってしまいました。

 1つ目が、何故結婚しないの?
 2つ目が、何故正社員にならないの?です。

 もう、毎日聴かれました。

 下町の工場ですから、
 プライバシーの詮索をしてはいけないという感覚が
 当時は全くありませんでした。

 7年もいたから、いろいろなことを言われ続けながらも
 何とかごまかしていました。

 でもある日、1人のおばちゃんが
 お見合い写真を持ってきたんです。

 実際に写真を見た時に
 「ああ、タイプの女性だ」と思ったのですが

 まかりまちがって相手が気に入ってしまったら、
 戸籍上は女性同士だということが分かってしまう。

 そうしたら、紹介してくれた人に迷惑がかかってしまう。

 そこでお見合いを断りました。
 同時に、ここまで事態が厳しくなってしまったら
 いずれバレてしまう。

 私は、お見合い写真事件の5日後に
 会社を辞めました。

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 退職をしてから、FTMのミニコミ誌を出しました。

 仕事をしていた時は朝8時半から17時まで
 きつい肉体労働をしていたので、夜中にミニコミを作るのはムリでした。

 でも、いつか作ろうとずっと考えていました。

 かつてアメリカでミニコミ誌を見てから
 青写真を考えていたんです。

 それが仕事から解放されたので
 3ヵ月後にフル回転で雑誌を出しました。

 何かこころに穴が開いていたような気がしたから。

 やっぱり7年間も一緒に働いてきた仲間だったですし、
 かなり下町的なつきあいをしてきたのが
 急にぷっつり関係が切れたことを残念に感じたのです。

 会場のみなさんは
 戸籍上の性別欄をほとんど意識しないと思います。

 神奈川県は公文書に性別欄を記入するところが
 改善されて無いところが多いと思いますが、

 かつてはそういった改善が全く無い時代だったので
 戸籍を変えれば
 公文書の性別を全て変えなければなりません。

 戸籍上の性別を変更することが
 可能になったのは

 性同一性障害者の性別の取り扱いの特例に関する法律が
 2003年7月10日に成立をして
 2004年7月16日から施行されたんですね。

 この法律が成立する以前に
 私たちは6人のグループで戸籍訂正を求めて
 2001年5月に一斉に申し立てをしました。

 けれども全員が敗訴してしまいました。

 そうした動きの末に、国会議員の方々にも
 問題意識を持つ方々が増えてきて
 先ほどの特例法ができたのです。

 さらに、2008年6月には
 戸籍変更の要件が緩和がされました。

 少しずつ状況は改善されていっています。

 何故、戸籍を変えなければならないのでしょうか?

 それは、外見と戸籍が違うということによって
 今の社会ではいくつもの不利益があるからです。

 就職試験でも、正社員になれない。
 大家さんや不動産屋さんが家を貸してくれない。
 結婚もできない。

 講演の時間が無くなってしまいましたので
 お話の途中ではありますけれど、後は質疑応答にしたいと思います。

 この問題は数え上げればきりがありません。
 でも、だんだん良い方向に向かってきています。

 かつてはバラバラであった、
 レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダーなど
 いわゆる性的マイノリティとされる人々が
 今は「共闘しよう!」ということで手を結びつつあります。

 本当に1人1人が違いますから
 なかなか1枚岩になれていないけれど

 それでもやってみようよということになっています。
 共闘してやれることをみんなでがんばってみようということで
 手を結びはじめました。

 私たち、当事者が活動をしていくことだけでなく
 1人でも多くの周りの人々に
 理解していただくことが大切だと考えています

 今日の講演がみなさんにとって
 そうしたきっかけになると幸いです。

 私のお話は、以上です。


 (続きます)

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