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「性同一性障害を知っていますか」講演会(中編) [性的な多様性・LGBTI]

(2008年11月4日(火)の活動日記その3)

● 虎井まさ衛さん講演会「性同一性障害を知っていますか」(中編)

 虎井さんの講演のまんなかの部分です。

 (前回と同じくここから先の内容は、
  フジノのメモを元にしておりますので、誤った記述があるかもしれません。

  そういった文責は全てフジノにありますので、
  どうかあらかじめご了解ください)

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 <虎井さんのお話>

 後半は、私自身のこれまでをお話します。

 実際に、下半身の手術をしよう、と
 思いつめている人は少ないです。

 私はそのうちの1人です。

 私の母は、流産しやすい人でした。
 私の出産の前に、2人、流産をしてしまっていました。

 何とかしてこどもを作りたかったこともあって
 周囲からすすめられて、『流産防止剤』を使いました。

 これはすでに当時、欧米では使用禁止になっていました。
 ホルモンの作用で男性化する可能性が高い、という薬です。

 でも日本では「よく効く」ということで、
 使われていました。

 当時は迷信のように、妊娠したお腹が
 四角く張っていたら男の子、丸く張っていたら女の子、と
 言われていました。

 私の母は私を妊娠した時に、
 なんだか四角く張っているから男の子だろうと思っていたそうです。

 けっきょく男性ホルモンの働きをする流産防止の薬を使ったら
 生まれてきたのが私だった訳です。

 私の場合、体は女の子でした。

 こころも女の子のはずだったのですが
 外から脳の性分化の時期に
 流産防止剤のせいで
 胎児である私に男性ホルモンが入ったのではないか
 と言われています。

 これは日本のドクターだけでなく、
 アメリカとオランダのドクターにも同じことを言われました。

 私は1963年生まれです。

 日本でもようやく70年代に入って
 この薬が禁止になりました。

 70年代以降生まれの方で
 性同一性障害の方は、この薬のせいではありません。

 けれども、70年代以前に生まれた方で
 性同一性障害の方は
 私と同じように薬害でなった方もいるかもしれません。

 私の場合は複数のドクターが述べているとおり、
 このことが原因でなりました。

 この流産防止剤を使った母親とこどもは
 体が弱るという研究結果が多数あります。

 そのせいで、私も本当に体が弱くて
 幼稚園にも月1日くらいしか行かれませんでした。

 そこで本ばかり読んでいたから、
 本が大好きになって、現在、作家になったんですね。

 私は、外で遊べないこどもでした。
 ですから、性同一性障害についての
 先ほど述べたような『環境説』は全くあてはまりません。

 私の場合には特に、きょうだいは流産なので、
 全く居ませんでした。きょうだいの影響ということもありません。

 父は厳格な人だったので、
 私は母にばかりくっついていました。

 「大きくなったら自分は男になるんだ」

 と、2才くらいからずっと言っていたそうです。

 幼すぎて自分自身の記憶は
 当然ないのですが 
 まわりの人がそう言っていたのを憶えています。

 自分自身の記憶がはっきりしている
 性自認は幼稚園くらいの頃でした。

 みなさん、ここで3分間だけ、目をつぶってください。

 ご自分の着ている服の下に
 体全体に、うろこが生えていると想像してみて下さい。

 この体に生えているわけですから
 うろこが大きくて
 下着にひっかかって、ざらざらしていたり生臭いのです。

 洋服の下だから
 他人が外から見ても気づきません。

 でも、自分としてはすごく気持ち悪いのです。
 でも全くまわりからは分からない。

 自分は水の中で話しているような
 ぴよぴよした声しか聞こえないのに
 周りからは全然分かってもらえない。

 でも自分にとってはひどく気持ちが悪いのです。

 ただ、その一番奥にあるこころの部分では
 自分はまともな人間なんだ、という気分もちゃんとあるんです。

 だから、体は別の物だけれどもこころは人間だというような
 自分を半漁人のような感じで意識を持っていました。

 そういう気持ちをぬぐえないのが自分でした。

 小学校の林間学校の時に
 女生徒だけ集められて、性教育を受けました。
 初潮の為の教育ですね。

 その時に最もショックだったのが
 成人男性の裸と
 成人女性の裸の図でした。本当にショックでした。

 男性には男性器がはっきりある訳です。
 そして女性には乳房と女性器がある訳です。

 自分は外出もしなくいし運動もできなかったので
 肥満児だったので胸が出ていましたが、
 それはおすもうさんと同じなのだと単純に考えていました。

 胸の形を、毎晩鏡に映していました。

 そこで鏡に映っていた姿が、
 性教育の成人女性の裸の図と同じだったのです。

 それまでは自分は成長したら必ず男になると思っていたのが
 そうではないんだ、ということがハッキリわかって、
 本当にショックを受けました。

 これ以上のショックは2度とありませんでした。
 人生で最初で最後の大きなショックでした。

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 タレントさんでカルーセル真紀さんがいますが、
 私がショックを受けていた35年前の当時に
 手術のことでテレビに出まくっていました。

 幼いながら私はそうしたテレビを観て、

 「この人は男から女になる為に外国に行ってきた。
  私も国内で女から男になれるはずだ」

 と、小5の時に決心をしました。
 それから必死にお金を貯めました。

 結局10才の頃からお金を貯めて、
 大学を卒業した年に手術をしました。

 体への違和感に長い間苦しみましたが、
 手術をすることそのものに悩むことは少なかったです。

 今、こどもたちから

 「死にたいんだ」「うつなんだ」という相談をよく受けますが
 私自身はうつっぽくなったことはありません。

 「必ず手術をする」という想いが
 とても強固だったからだと思います。

 どこで手術をするのか、どう手術をするかなどは
 全く分からなかったのですが、だけど、できると信じていました。

 中・高は制服を着ていましたが、
 大学時代はTシャツにGパンで行くわけです。

 流産防止剤のせいで、外見は男性っぽく見られていました。
 もっと今よりも毛深くてまゆげも太くて
 生理も年1回くらいしか来ませんでした。

 けれども巨乳だったので、それがイヤで仕方がなかったです。

 私は、前の晩から寝る前に
 明日着る服を着やすいようにして置いておくんです。

 朝、目が覚めたら
 まぶたをあけずに目をつむったままに着るんです。
 とにかく自分の体を見たくなかったから。

 トイレに入っても一切、自分の性器を観ないようにしていました。

 シャワーに入っても、
 可能な限り自分の性器に触れないようにするんです。

 これは私だけではなくて、体を洗う、ということでさえ、
 やわらかい胸や下半身の女性器に触れてしまった瞬間に
 肉体が女性であるということを強く意識させられてしまうのです。

 自分の体に対する激しい違和感から
 触わることさえ嫌悪感が強くてできない人もたくさんいます。

 大きな胸を隠すために、さらしという布を幾重にも巻きました。
 7回くらいギリギリと巻きました。
 そうすると、胸が潰れて平らになるんです。

 そうやって服を着る訳です。

 今日のように涼しい日ならまだいいけれど、
 夏の暑いさかりには
 とっても暑い中で7枚下着を着ているようなものです。

 体が弱かったこともあって、
 道端でふらふらして倒れてしまうことがありました。

 通りすがりの方が「大丈夫か?」と尋ねてくれるけれど
 声を出せないんです。

 外見は男性のようなのに
 声を出したら、女性の声に聞こえてしまうからです。

 ドラマ『金八先生』で上戸綾さんが演じた生徒が
 ノドに大きな鉄の針を刺したシーンがあります。

 性同一性障害を理解しない頑固な父親が
 お前は女なんだと怒鳴って、胸をわしづかみにした時、
 上戸さんの役は「キャッ」と高い声で叫んでしまったのです。

 その悲鳴の声が女性のもので
 自分自身の声にまた嫌悪を感じて
 自分のノドにチーズフォンデュの時に使う鉄の針を刺したのです。

 このシーンが放送された後、放送局に抗議がいったそうです。
 過激すぎる、あまりにもひどい、と。

 でも、それは実話なんです。

 私自身の体験ではないのですが、
 本当に私の友人たちは何人もそれをやりました。

 のどを鋭い針で何度も何度も刺して
 出血もひどいのですが
 2~3日目には声が変わった、と喜んでいました。

 私自身は体が弱かったし、それはできませんでしたが
 こうやって声を変えた人は何人もいました。

 さっきの話に戻りますが、倒れてしまった時には、
 英単語のカードのようなものを作っておいて

 「大丈夫です」「ありがとう」のように
 カードを見せていました。

 大学に行ったり
 バイトに行く時にはそういったことはしなかったけれど

 知らない人の前では
 絶対に名乗らなかったし、話すことはありませんでした。

 声はとても大きなファクターです。
 私は声が変わるまでは、筆談で何とかやっていました。

 昔の学生だから
 大学に行かないとかひきこもりになるということはなくて
 とにかく手術の為にバイトをしていました。

 父はとても厳しいので、男っぽい女がキライだということで
 「強姦されてしまえ」
 と言われたりして
 真夜中に外へ追い出されてしまったこともありました。

 レイプをされてしまえば、女らしくなるだろう、
 ということだったのでしょう。私は悲しくてたまりませんでした。

 それでも母親は優しかったです。
 母親に泣かれることのほうがイヤでした。

 だいたいの場合は、
 中高年の男性の方が理解がありません。

 若い学生を見ていても
 男の子の方が理解がありません。

 今はだいぶ変わってきました。

 でもやっぱり男の方が
 理解が少ないです。

 自分の価値観を揺らがされる事態を前にして
 多くの男性は、笑うか怒るかしかないんですね。

 実際に、多くの場合、
 母親やお姉さんの方が理解が高いです。

 うちの場合には母親が理解してくれて、
 手術後にも軟膏を置いておいてくれたりしました。

 私はいつも一人でいるほうがラクでした。

 自分の体に違和感がある限り、
 起きている間は一瞬も気持ちが休まらないのです。

 みなさんも気になることがある時は眠りが浅いように、
 起きている間は気持ちが休まらないだけでなく
 浅い眠りが何年も続くわけですから、不眠症になってしまうのです。

 眠っても明日のことを
 「明日も今日のくりかえしかな」とか毎日考えてしまうのです。

 大学を卒業して、3日後に手術をして帰ってきた時には
 初めて安心して眠ることができました。

 手術後の気持ちは人によって様々だと思います。

 600万円もの手術代がかかりましたが、
 私の場合は、とにかく『安心』の気持ちだけでした。

 女性から男性になる方が
 働いても稼ぎが少ないですから収入が少ないのに
 男性から女性になることの3倍も費用がかかりました。

 私は、手術を受ける前に15年働き続けて、
 手術後には借金を返すために18年働きました。

 合計で3回手術をしましたけれども
 体がとても弱かったので
 毎回この世に戻って来れないのかなと思いました。

 手術が終わって麻酔が覚めて
 目をあけてみると、ああ、この世だった、と思いました。

 『安心』の最大の理由は、
 こころと体の性別が一致した、ということです。

 会場のみなさんは
 こころと体の性別の両者が一致している人が
 ほとんどでしょうけれども

 そこに近い段階にようやくきたことが
 25年生きてきて、ようやく近づいたということですね。

 性同一性障害である自分たちを
 そうではない方々と分けるのはどうかと思いますが

 ふつうの悩みだけ悩めばいい
 というのは、本当に幸せなんだなと手術後に感じました。

 それは性同一性障害があったからですね。

 ふつうの人生の悩みを持つことはみんな同じですが
 その前に私たちは、自分自身のこころと体の不一致に対して
 嫌悪感をいつも抱いているという悩みがあるのです。

 手術が終わって、ようやくその悩みが取れつつあって、
 ふつうの悩みだけを悩む暮らしというのは
 とても幸せだなと感じたのです。


 (続きます)

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