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父の転院、ようやく明日の出発へ [市民病院改革]

2009年2月15日(日)の活動日記その1)

● 父の転院、ようやく明日の出発へ

 父の転院がようやく実現することが決まりました。
 出発はとうとう明日です。

 新しい転院先の病院探しに約1年もかかり、
 転院先が決定してからも日程が二転三転してしまって、
 合計して約1年2ヶ月もかかってしまいました。

 これが小泉改革という名の、『ニセモノの医療制度改革』の現実です。
 絶対に僕は、こんな最低な政治屋を許さない。

 本当に必要な医療さえカットして
 何が改革だとバカバカしく思います。

 最近また小泉元総理の発言がテレビでとりあげられるのを観て、
 2度と舞台には出てくるな!と、つくづく不快に感じます。

 もう、あなたの出番は完全に終わったんだ。
 退場していろ。

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 1日前の今日から、父のいる病院へ向かって、病室の片付けをします。
 約3年半もこの病院にお世話になったので、
 たくさんの荷物があります。その片づけが必要なのです。

 明日の移動は朝早くて横須賀からでは間に合わないので
 今日は病院のそばに泊まります。

 行き先は、伊豆熱川です。

15ticket.jpg

 フジノの父は、2004年12月に脳出血で手術をして
 急性期(約3ヶ月間)は横須賀市民病院に入院していました。

 やがて、急性期が過ぎると、
 植物状態になってしまった父へのショックも癒えないままの
 僕たち家族は「転院してほしい」と病院側からほのめかされました。

 (詳しい経緯はこちらをご覧下さい)

 けれども、転院先探しの為に『地域医療連携室』がしてくれたことは
 ぶあつい病院ガイドブックを僕たちに渡したことだけでした。

 ガイドブックを自分で読んで、
 そこに載ってる病院に自分で電話して、
 勝手に探してくれ、ということです。

 転院先探しがどれほど大変なのかを
 この時から何年間も続けて僕たち家族は体験し続けるのですが

 市民病院の相談室がいかに役立たずなのかを知ったのは、
 だいぶ後のことでした。他の病院と出会って、そのひどさが分かりました。
 (そこで、フジノはすぐに市議会で改善を提案しました)

 他の病院の医療相談室はもっと家族に寄り添って
 転院先探しも一生懸命手伝ってくれます。

 ガイドブックを渡して自分で探せ、という扱いをされたのは
 それから4年のあいだ、市民病院の医療相談室だけでした。

 けれども当時の僕にはそんなことも分からず、
 自分でガイドブックを読んでただ必死に探すものだと思っていました。

 そうして転院先探しをしながら何ヶ月か経った頃、
 ある方の紹介で横浜脳血管医療センターと出会いました。

 母と共に訪れて「転院をさせてほしい」とお願いをしました。

 結局、その願いは断られてしまったのですが
 ドクターはあまりにも憔悴しきった僕たち親子の姿を見て

 「遠くてもかまわないのでしたら...」

 と、伊豆の熱川温泉病院をご紹介して下さったのでした。

 神奈川、東京、千葉、埼玉と、
 関東地方では全く転院先が見つからずにいた僕たち家族にとって
 これは本当に希望の言葉でした。

 「ぜひ、お願いします」

 そうして、2005年6月、熱川温泉病院に転院しました。

 その日から3年半に渡ってお世話になった
 伊豆の熱川温泉病院との出会いでした。

 本当に偶然のおかげです。いろいろな人にお願いをしてまわって
 ようやく見つけた、たった1つきりの病院でした。

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15inthetrain.jpg

 今日も伊豆に向かう電車は、観光客でいっぱいでした。

 パニック障がいで電車に乗るのが苦痛な僕は、
 本当に毎回、必死の想いで熱川と横須賀を往復したものでした。

 横須賀から熱川というのはとても遠くて、
 熱海まで行ったところでようやく道のりが半分なのですね。
 そこからさらにもう半分、遠くに向かいます。

 行きも帰りも観光客ばかりで、みんな楽しそうで、
 時には電車の中は集団の観光客の宴会場のような感じでした。

 植物状態の父を見舞う為に往復している家族にとっては
 楽しそうに騒いでいる人々の存在さえも苦痛でたまりませんでした。

15cherryblossom.jpg

 今回もまた河津桜が満開になった日にぶつかってしまい、
 ものすごい混雑でした。

 いつの日か僕も、この桜を穏やかな気持ちで
 愛でられる日が来るのでしょうか。

 電車での長い道のりを終えると、最後はタクシーに乗ります。
 やがて川沿いにピンクの建物が見えてきます。それが熱川温泉病院です。

15hospital1.jpg

 本当に、とても素晴らしい病院でした。
 僕は、この病院から受けたご恩を永遠に忘れないでしょう。

 いつも献身的な看護師さんをはじめ、理学療法士の方々、
 ケアワーカーのみなさん、医療相談室の方々、
 もちろん主治医の先生をはじめ、
 全ての関係者のみなさんの
 優しさと思いやりには
 ただただ感謝の気持ちしかありません。

 疲弊しきってしまった家族以上に
 父に対して献身的に接して下さるみなさんの姿を思い出すだけでも、
 僕は涙が出そうになります。

 僕の父を、ご自身のお父さんのように声をかけ続けてくれた
 熱川温泉病院のみなさんの姿は、
 僕の目に、僕のこころに焼きついています。

(その2へ続く)

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