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犯罪被害者支援の為に、もっとやるべきことがある(その1)

(2008年7月26日(土)の活動日記その2)

● 犯罪被害者支援の為に、もっとやるべきことがある

 中学生たちの演劇発表会場を飛び出ると
 大急ぎで昼ごはんを食べて、横浜・桜木町に向かいました。

 ランドマークタワーの真正面にある
 はまぎんホールヴェアマーレが会場です。

26landmarktower.jpg

 午後から、
 『それぞれの立場からはじめる犯罪被害者支援
        ~神奈川県犯罪被害者支援県民大会~』
http://www.hide-fujino.com/pdf/victimsupport/program080726.pdf

 に参加しました。

 被害者支援に対して強い想いを持つ
 県のある職員さんから熱心にお誘いいただいてこともあって
 喜んで参加させていただきました。

 犯罪被害にあった方々の支援はフジノの政策課題だと受け止めて
 横須賀市議会でいろいろな提案をしてきました。
 (http://www.hide-fujino.com/problem/victims/index.html

 アメリカ軍の兵士が起こす犯罪の防止(加害の予防)だけでなく
 全ての犯罪による被害にあった方々へのサポート(被害への支援)も
 とても重要です。

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 まず、2人の方から基調講演が行なわれました。

 最初に、
 練馬区での殺人事件の被害者のご遺族である
 糸賀美穂さんから『犯罪被害者等が望む支援』のテーマで
 お話がありました。

26speech1.jpg

 (ここから先は、フジノのメモを基に記したもので
  聞き間違いや誤解や重要な情報が欠けている可能性があります。
  正確なものではなく、あくまでもフジノのメモとお考え下さい)


 被害者は、私の息子で25才でした。
 息子は、同い年の恋人に殺されてしまいました。

 加害者は、極めて一方的な理由によって、
 息子を永遠に奪い去ってしまったのです。

 もともと情緒不安定の女性でした。

 息子が彼氏になった後も、平気で他の男性と浮気をしたり、
 というようなこともありました。

 また、彼女は、自分の両親との関係が
 一方的に悪いと受け止めていました。

 実際には彼女の両親は彼女が家出をするたびに
 毎回、一生懸命に彼女の行方を探してあげたりしていました。

 後で供述を読んでしったのですが
 彼女は、

 「彼氏(息子さん)を殺してあげなければならない」

 と自分勝手な思い込みで考えていました。

 息子が殺されたことをテレビなどのニュースで観た友人から
 様々な電話やメールなど連絡がありましたが、
 事件当日も、お通夜もお葬式も、
 どのように終わったのか今も記憶がありません。

 彼女は、計画性も殺意も容疑も全て認めた為か、
 刑事裁判は事件からわずか2ヵ月後に始まりました。

 けれども2ヵ月後の頃は、
 まだ私は自分を責め続けていました。

 骨壷を抱きながら、毎日謝り続けていました。

 私たち被害者の家族の味方と信じていた検察とは
 話す機会も無いままに、裁判になりました。

 「遺族は裁判のはじめに
  冒頭陳述ができるだけ」

 と言われました。

 彼女は、何故息子を殺したのか、真実を語ることも無く、
 息子に対しても私たちに対しても謝罪の言葉も無く、
 反省の言葉もありませんでした。

 2回目の公判では、彼女の親(加害者の親)が
 陳述することになっていたのですが
 当日になって拒否しました。

 そこで、私も夫も、彼女の親が自分たちの娘がしたことを
 どのように考えているのか、謝罪の気持ちがあるのかどうかも、
 何も知ることができなくなってしまいました。

 その日は、私の夫のみが意見陳述をしました。
 涙でぐしゃぐしゃになりながらの陳述でした。

 夫が陳述を終えた後に、

 「加害者、何かありますか?」

 と裁判長が彼女に問いました。
 けれども、

 「何もありません」

 と彼女は言いました。

 彼女の側の弁護士は、加害者の両親に対して、

 「20才を超えた加害者に対して
  保護者の責任は無いから接触すべきではない」

 と指示を出していたようです。

 法廷で会っても、お辞儀ひとつ無かったです。

 これまで息子が生きている時には彼女のことで何度も相談にのったり
 いずれ結婚するだろうと考えていたので
 何度も一緒にお話した間柄だったのに
 あんまりだ、と感じ、とても悲しくなりました。

 検察側は懲役13年を求刑しました。

 しかし、自首であること、
 前科前歴が無いこと、
 25才という若年であること、
 反省していること(しかしこれは自分の両親への謝罪の言葉)、で
 減刑されてしまいました。

 加害者には保護や人権が守られているにも関わらず、
 被害者には何の保護も無いことが分かりました。

 被害にあった人は国や司法から守られているものと思っていました。

 しかし現実には、
 自分の私利私欲の為に人の命を奪った犯罪者に対しても
 心神喪失や責任能力が無いなどの理由によって、
 量刑が軽くなってしまうだけでした。

 被害者の遺族は、なおさら傷つけられてきました。

 また、これは同時に、
 加害者の為にも良いものなのでしょうか。

 矯正教育が今、どのように行なわれているのかは分かりませんが
 被害者のことを忘れることなく、
 罪を真正面から見つめることが必要だと思います。

 加害者はもし生きて刑務所を出てきたならば、
 出所の日からが本当の罪滅ぼしの日々です。

 2度と取り返すことのできない現実に
 苦しみながら生きていかなければならないからです。

 1年ほどたって民事裁判を行いました。

 けれども、相談にのってもらった弁護士さんから

 「どうせ何も取れないのだから、
  請求額は5000万円にしてはいかがですか?」

 と言われました。

 「これは一体何の話をしているのだろうか」

 と私は思いました。

 民事裁判の準備を進めていくにつれて
 争点が無い裁判は
 刑務所の加害者に書類を送り、
 署名をして送り返すだけのものだと初めて知りました。

 加害者の署名と言い分として

 「私にはお金が無いので、出所したら少しずつ払う」

 とだけ書いてありました。

 加害者の親は、事件の後も、
 同じ住所でふつうに暮らしながらえていることに、怒りを覚えました。

 相手の母親からは謝罪の言葉は無かった上に、
 お話をしたいと伝えた途端に、むしろ逆切れされてしまいました。

 「あんたね、私たちだって大変なんだよ!」

 「あなたの息子がつきあわなければ良かったんでしょ!」

 と言われました。

 殺された上に、なおもけなされる息子が不憫で不憫で、
 私はその夜、自殺未遂をしてしまいました。

 「死にたい」

 という気持ちよりも、

 「死んだら息子のところに行くことができる。早く息子に会いたい」

 という気持ちになりました。

 ようやく今、私はそういう命を救わねばならないと思いました。

 被害者支援センターからお手紙を何度かいただき、
 友人らの前では語ることができない想いを
 毎月1回話せるようになりました。

 自助グループに参加するまでは

 「こんなことに参加して、一体何の役に立つものか」

 と疑問に思っていました。

 けれども、センターのサポートや
 同じ苦しみを持つ方々と体験を話すことで
 こころの傷が少しずつ小さくなりました。

 その後、2006年犯罪被害者基本法、
 DV法、更生保護法、少年法の改正、
 刑事訴訟法も今年12月から刑事裁判の中で
 遺族も意見を言うことができるようになります。

 けれども、これらの法改正も、
 法律に携わる人々の意識が変わらない限り、
 ただの飾りになってしまうおそれがあります。

 警察や司法、地域の支援ネットの理解が必要です。

 自殺予防や犯罪を防ぐ為にも
 被害者の家族は、
 なるべく早い段階から支援を受けられるように、
 自治体やカウンセリングとの連携の必要性=協力が
 本当に必要だと考えています。

 県が条例を作ろうとしていることや
 取り組みを行なってくれていますが

 取り組みの単位は県のように大きなものではなく
 それぞれの市町村単位にしてほしいと望んでおります。

 みなさまにはぜひ他人事とお考えにならないでいただけたらと思います。

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 次に、
 相模原市での殺人事件の被害者のご遺族である
 松原真佐江さんから『犯罪被害者となって』とのテーマで
 お話がありました。
26speech2.jpg

 (同じくここから先は、フジノのメモを基に記したもので
  聞き間違いや誤解や重要な情報が欠けている可能性があります。
  正確なものではなく、あくまでもフジノのメモとお考え下さい)

 相模原市に独り暮らしをしていた22才の長女(加代子さん)が
 強盗目的の加害者によって殺害されてしまいました。

 無職の男が遊ぶ金ほしさに娘の部屋に忍び込んで、
 侵入に気づいた娘を殺害したのです。

 さらに卑劣なことに娘を殺した後も
 まるで娘が元気でいるかのように
 メールを私たちに送り続けたのです。

 心配で娘にメールを送るとメールは返ってくるのに
 娘の家に電話をかけても出ないんです。

 そこで娘の会社に電話をすると、

 「もう2日間、娘さんは無断で欠席しています」

 とのことでした。

 私は長野県に住んでいたので体調的に厳しいので
 息子と息子の友人が相模原市の長女の家を
 一緒に観に行ってくれることになりました。

 相模原へは高速を使っても3時間かかります。

 「ああ、どうしよう、どうしちゃったの?」

 と私は苦しみ、悩みました。

 メールをしてもちゃんと返事は返ってこないし
 電話をかけても電話には出てくれない。
 長女の性格を考えると絶対にそんなことはしないので、
 ある瞬間から、親の、直感で気がつきました。

 携帯を持っているのは加代子じゃない、
 そう気づくと私は部屋の中を歩き回っていました。

 娘のアパートには誰もいませんでした。
 息子は、すぐに警察に捜索願を出しました。

 所轄である相模原署では
 すぐに捜査にあたってくれました。

 始まってまもなくです。

 「最悪の状態になりました」

 と伝えられました。

 アパートの中から遺体が見つかったのでした。

 殺人事件、という自分からとても遠いはずの出来事が
 自分のとても大切な娘に起こるなんて。

 私は、立っていられなかったです。

 まるで奈落の底に突き落とされたようで
 どうしたらいいか分かりません。

 息子は昨日アパートを自分が必死に見たのに
 (遺体がアパートから警察の捜索で見つかったことから)
 娘を見つけられなかった自分を責め、 
 ショックで大声で叫んでいました。

 夫は、状況を少しでも把握する為に
 必死に落ちつこうとして
 すごく怖い顔で警察の人と話をしていました。

 娘のなきがらは、警察が紹介した
 セレモニーセンターで預かってもらう手続きがとられました。

 私たちは相模原署への協力の為、
 犯人が持っているであろう携帯へメールを送り続けました。

 相模原のアパートへ娘の様子を見に行ってくれただけなのに
 当初、息子は殺人への関与を疑われながら
 暑い中、警察の実況見分に立ち会っていました。

 それでも、捜査に関わった多くのみなさまにも感謝していました。

 担当者が変わるたびにつらい気持ちを必死に抑えて
 何回でも同じことを話しました。

 私たちは長野から相模原に滞在しつづけたのですが
 全く知らない土地で困っている私たちの為に
 弟が来てくれました。

 泊まるホテルの予約、食事、 
 いろいろな用意を引き受けてくれました。

 そんな私たちに警察の方が

 「絶対捕まえるから!」

 と言ってくれました。

 私たちもよけいな情報が外にもれて
 逮捕が遅くなるのを恐れて
 警察に何も尋ねませんでした。

 3日目、下の娘も事情聴取を受けることになり、
 名古屋から親戚のクルマで相模原市までやってきました。

 犯人は見つからず5日目になりました。

 一切の荷物を持ってきていないので一度自宅に帰りたい、
 と警察の方にお願いして、長野県へ帰宅することにしました。

 そこに

 「犯人を逮捕しました」

 と連絡を受けました。

 私たちは急いで相模原に引き返しました。
 警察の方々に深く感謝しました。

 しかし、娘のなきがらを連れて帰る許可がおりず、
 相模原において帰ることになりました。

 加代子、一緒に帰ろうね。ごめん、独りぼっちにして、
 つらかったね。くるしかったね。

 私たちが長野に帰ってから3日後のことでした。

 娘を安置しているセレモニーセンターより
 火葬をすすめられましたが

 地元でたくさんの親戚や昔からの友達に
 最後のお別れができるように
 長野県で火葬をしたいとお願いをしましたが

 「それはできません」

 と断られました。

 娘のなきがらは、誰も知っている人のいない
 セレモニーセンターで、火葬にされました。

 そんな時に、セレモニーセンターから
 今日の火葬代金と共に
 今までなきがらを安置していた代金を突然請求されて、
 お金を払いクルマで帰りました。

 姉の変わり果てた姿に
 言葉も無い妹がぽとぽとと涙をこぼしました。

 葬儀には驚くほどたくさんの方々が来てくれました。

 みなさまがたには
 今もお礼状も出せずに大変心苦しく思っています。

 中にはぐさっとこころに刺さる言葉もありました。

 「だから早く相模原から長野に戻せばよかったのに」

 と言われたり

 「こども3人産んでおいてよかったね」

 と言われました。

 でも、加代子はたった1人のこどもなのです。
 たとえ息子がいても、下の娘がいても、
 加代子の代わりではありません。

 たとえ、きょうだいが3人いたとしても
 大切な子を喪った悲しみが減るなんてことはないのです。

 「あら、元気そうでよかった」

 とも言われました。

 それは違います。歯を食いしばって何とか立っているんです。
 気丈に振るまっていないと、立っていられないんです。

 相手の人が無意識にかけているであろう言葉の中に、
 傷つけられる言葉がたくさんありました。

 葬儀の2日後、私の実家の父が亡くなりました。

 実家では
 長女としての仕事が待っていました。

 被害者の遺族である、ということだけでなく
 長女としての仕事をしっかりと果たさなければなりませんでした。

 でも、親戚も加代子のことを知っていて、
 無言で肩を優しく叩くおじに、とても慰められました。

 こんな中、横浜で裁判が始まりました。
 私たちは裁判の為に長野県から横浜へ向かいました。

 何もかも不安な私たちの為に、
 相模原署の方々や被害者対策室の方や
 被害者支援センターの方々がついてくださいました。

 公判は全部で3回でした。

 犯人を刺激しないようにと
 前から2列目の傍聴席が用意されていました。

 傍聴をしていくうちに耐え難い現実が明らかになり、
 怒りがこみあげ涙がとまらず、娘の遺影を持つ手に力が入り
 爪がくいこみました。

 慣れない土地で1人で一生懸命がんばっていた
 家族思いの加代子がどうしてこんな目にあうの?

 犯人は何を考えているのか
 反省しているのか全く分からない様子でした。

 そんな犯人の姿に
 加害者側の弁護士でさえ怒りを覚えたようで、
 閉廷後、目が合った私たちに深くおじぎをしてくれました。

 民事裁判は、不条理にも

 「裁判に勝っても何もとれませんよ」

 と弁護士さんに言われてあきらめました。

 刑事裁判の判決は
 無期懲役。

 けれども弁護側は上告しました。

 私は、彼には死刑になって
 あの世で加代子にこころから謝罪してほしかったです。

 彼は死刑になるどころか
 刑務所の中で生きつづけることを保障された命であり、
 20数年後には社会に出てくることを知りました。

 すごく虚しく悲しく、不安で恐ろしい感じがしました。

 その後、執行猶予中だった犯人の身元引受人が
 ただ事実を知りたいだけの私たちに
 ひどい言葉を投げかけてきたこともありました。

 娘のアパートのまわりの人たちが
 事件の日に、女性のうめき声を聴いていたことも知りました。

 ああ、その時に110番をしていてくれたらば
 加代子は生きていたのかしら、と思いました。

 マスコミが注目していたのを避けるために、
 関係者の方々の細かい気配りをしていただいて助けられました。

 それでもマスコミの取材に苦しめられました。

 犯人は逮捕された時から守られますが
 遺族は違います。

 マスコミにはお願い文を出してからは
 静かになりましたが
 精神的にまいっていたのでよけいに疲れました。

 現実を受け入れられない自分が
 日々が過ぎてもいます。

 こころと体がすごく不安定になっています。

 ふつうに暮らせることがどんなに奇跡であるか、
 どんなに幸せであるか、加代子に教えられました。

 今日の講演のお話をいただいた時、
 すごく迷いました。

 被害者の中には
 社会的活動にとりくむ方もいらっしゃるようですが、
 今の私にはムリです。

 しかし主催関係者の方から
 ありのままのきもちを知っていただくことが大事なんですよ、
 と言われて引き受けることに決めました。

 被害者対策室の方々や被害者支援センターの方々から
 細かい気配りと共に、心温まるお手紙をいただきました。

 これがありのままの私の気持ちです。

 加代子に、「母さんもがんばったよ」と
 前を向いて生きていけたらと思っています。


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 お2人のお話は、どちらも涙なしには聴けないものでした。

 フジノはそれを堪えてメモをキーボードに打ちまくって

 「冷静に。この悲痛の叫びから政策としてできることを見つけ出せ!」

 と、必死に考えていたのですが、
 場内は本当にすすり泣きに満ちていて、悲しみでいっぱいでした。

 本当に、つらく悲しいお話でした。

 そして、被害者のご家族の気持ちを無視して
 すすめられていくあらゆること

 (例えば、火葬も身近な地域で行なえない、
  無念ながら火葬をしたその日に
  安置代など90万円を即日請求されたことなど。
  何故、後日ではいけないのか?何故、被害者が支払うのか?)

 とても怒りを強く感じました。

 犯罪の被害者やご家族は、
 犯罪そのものだけでなく、

 マスコミや決められたルールのせいで
 2重にも3重にも苦しめられている現実があります。

 これを変えるのが政治の仕事だ、と改めて感じました。

(つづく)

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